テトラのあるまち 甲子園-2
杉本です。先ほど、日本シリーズ第5戦でソフトバンクが5年ぶりの優勝を決め、甲子園は歓声と深い深いため息に包まれました。
今回は甲子園の玄関口、阪神甲子園駅を紹介したいと思います。

テトラの事務所はJR甲子園口駅へ徒歩3分の位置にありますが、阪神甲子園駅へも甲子園筋沿いに南へまっすぐに徒歩やバスでアクセスすることができます。
阪神甲子園駅の南口を降りると甲子園球場はすぐ目の前です。
その阪神甲子園球場と甲子園駅の一部が、「阪神甲子園球場・枝川橋梁」として、(公社)土木学会が認定する2024年度「土木学会選奨土木遺産」に選ばれました。
- 選奨理由は、「阪神甲子園球場・枝川橋梁は、我が国最古の本格的野球場と地域拠点の鉄道駅を支える橋梁で、廃川敷に計画・開発された「甲子園開発」を象徴する貴重な施設です。」というものです。
阪神甲子園駅は、1924年、甲子園球場がオープンすると同時に開業しました。
甲子園駅のホームの下をくぐって南北に走る道路が、現在の甲子園筋という道です。
この甲子園筋も、球場へのアクセスを向上させ、地域の発展に大きく寄与しましたが、もとは枝川という武庫川の支流で、廃川として埋め立てられて甲子園筋になりました。
駅の開業から2年後の1926年から、今度は甲子園の町のインフラとして鉄道建設が行われました。
それが阪神電車甲子園線という甲子園筋上を走っていた路面電車です。
1926年に甲子園から海水浴場のあった浜甲子園までが開通し、2年後の1928年には国道線が開通し、上甲子園まで延長されます。
そして1930年には浜甲子園から先の海岸沿いまでさらに延長されました。

阪神電気鉄道株式会社 NEWS RELEASE より引用
私も子供の頃、当時住んでいた大阪から浜甲子園にある習い事の教室に通う際、JR甲子園口を降りて路面電車に乗った記憶があります。
阪神本線は、路面電車である甲子園線との立体交差のために、埋立てられた枝川の跡地を橋梁で渡っていて、甲子園駅は橋梁の上に設置されました。
現在の駅舎は4代目ですが、橋梁はこの時のものが今も使われています。
今回、「土木学会選奨土木遺産」に阪神甲子園球場と合わせて認定された「枝川橋梁」というのが、この阪神本線甲子園駅を支える橋梁です。
当時希少であった鉄骨柱にコンクリート被覆した特徴的な構造を持ち、幾何学的なデザインの装飾が施されています。

同じく1927年に国道2号線が武庫川を渡るために建設された武庫大橋も、「土木学会選奨土木遺産」や「日本百名橋」に認定されるほど、細部に至るまで美しい橋です。
当時の土木構造へかけるエネルギーと美意識の高さが感じられます。

時代の変化に伴う事情から、1974年には上甲子園以西が、そして翌年には上甲子園以東が廃止され、国道線、甲子園線も廃止となりました。
枝川橋梁と甲子園駅舎は、2011(平成23)~17年に改良工事を行い、ホームが拡幅されて既存橋梁の両側に新たに軌道を受ける橋梁が架けられています。
甲子園駅が誕生してから100年、廃川の痕跡は徐々に姿を消し、街の歴史と記憶をたどることもできなくなりつつあります。
でも、川が埋め立てられて道路にならなければ、枝川橋脚を間近で見ることもなかったでしょうし、今も甲子園駅のガード下で信号にで止まる度に、そのデザインをしみじみ楽しむことができます。
駅の南西に以前からあった大きなクスノキは、駅の改修時に伐採されることなく構内に取り入れられ、駅の歴史を見守っています。

ホーム上には、白球のイメージ(高校球児のユニホームという説もあり)の屋根が掛けられ、その屋根を支えるトラスの中に、白球が1個だけ、浮かんでいます。

駅のエレベーターには乗るたびちょっとだけ嬉しくなるポイントもあります。
甲子園駅を利用される際は、旧枝川の名残りとともに探してみてください。
参考文献
阪神電気鉄道株式会社 NEWS RELEASE 2024年9月25日
土木学会ホームページ「土木学会選奨土木遺産」