COLUMN

2026.01.31

膜構造セミナー

杉本の所属する兵庫県建築士会阪神支部の研修事業で膜構造セミナーを開催しました。
テーマは「意匠設計者が知っておくべき膜構造の基本と構造」。

大きな組織の設計者は別として、一般的は意匠設計者で膜構造を手掛ける機会は少ないのではないかと思います。

テトラでも木造の屋内テニスコートを設計した際に外壁材としてテント膜は採用しましたが、膜構造というものではありませんでした。

セミナーは募集開始からすぐに定員に達し、中には学生さんの姿も。

全国各地のスポーツ施設や公共施設で膜構造が採用されていることや、何より関西万博で多くの膜構造がダイナミックな建築空間を見せたことがタイムリーな企画となったようです。
写真は関西万博で大きな話題となった落合陽一氏プロデュースのnull²(ヌルヌル)」。

講師は膜構造のパイオニアである太陽工業株式会社からお招きしました。
もちろん「null²」も太陽工業さんによるミラー膜が用いられています。

 

膜構造の起源は砂漠や草原で旅する遊牧民のテント。

それを本格的な建築構造として成立させた先駆者が、ドイツの建築家、構造家のフライ・オットー。

世界大戦末期にフランスの捕虜キャンプにおいて厳しい住環境に直面し、テントを駆使して住居を構築する実験を始めたのが、彼の膜構造建築への関心のはじまりであったといわれています。

一方、太陽工業さんは、「能村テント商会」として大正11年に創業し、今日のエアービーム方式の原型でもある自転車のチューブを支柱としたキャンピングテントなどを開発しました。敗戦後に足踏みミシン一台とハサミ一丁で事業を再建。ヤミ資源を運ぶリュックサックや船舶用シートを製造し、劇場の幕、サーカスの大テント、オート三輪ミゼットの幌などで発展しました。1970年の大阪万博で多数のパビリオンを施工し、大型膜面構造の概念を変えることになり、事業は土木、防災、衛生など広範囲に広がり、現在に至ります。

今、目にする建築の形が、世界のプリミティブな住居の形態を起源とし、戦火の過酷な状況がイノベーションとなったことは、技術革新のかたちとしては典型的な例ですが、改めて感動しました。

大阪万博以降、不燃膜材が開発されたにも関わらず、建築基準法の壁があり仮設建築物以外での膜の使用は認められませんでしたが、1985年竣工の「インテックス大阪」が恒久建築第1号となりました。
2002年には膜構造が「一般的な構造」として法制化されました。

セミナーの構成は、関西万博や身近な膜構造の事例紹介と特色、膜構造の設計と告示についての概要のレクチャーと質疑応答。

何時間あっても足りませんが、ここでは、意匠設計者が知っておくべき具体的な設計の流れや応力変形計算、膜定着詳細について画像や動画、実物サンプルなどを拝見しながら、あっという間の濃い2時間となりました。

この膜構造の勉強会は、是非、第2弾を!というご要望が多数寄せられました。次回は現地の見学会を企画したいと思います。
兵庫県建築士会阪神支部 インスタグラムでお知らせします。 https://www.instagram.com/hyogohanshin2024/

是非、お楽しみに。

 

 

 

 

杉本 雅子

杉本 雅子

MASAKO SUGIMOTO