COLUMN

2025.06.27

テトラのあるまち甲子園

杉本です。今回はテトラプラスのオフィスがある甲子園について書いてみたいと思います。

テトラはJR甲子園口から国道2号線へと続くほんわか商店街から一筋入ったビルにあります。

甲子園のランドマークとしては1924年に開場した甲子園球場がありますが、もう一つ、同時期に建設された名建築が今もほぼ竣工当時の姿を保ち現役で使われています。

テトラのオフィスから徒歩10分ほどの場所にある、フランク・ロイド・ライトの弟子の遠藤新が設計し、1930年に竣工したライト式建築の旧甲子園ホテル(現、武庫川女子大学甲子園会館)です。

甲子園球場と甲子園ホテル、これらの建築は近代以降のこのまちの成り立ちに深く関係しています。

数年前、公益社団法人兵庫県建築士会の地域貢献事業の一環として、武庫川女子大学の甲子プロジェクトに参加しました。

そこで、黒田智子教授の空間デザイン論研究室と、甲子園の生活道路である甲子園筋(旧枝川を廃川した道路)沿いの歴史的景観の調査を行いました。

この調査へ参加した理由は、東の帝国ホテルに対し、「西の迎賓館」として甲子園浜のリゾートホテルとなるはずだった甲子園ホテルが、なぜ、国道2号線と武庫川の交差点である鬱蒼とした暗い松林の池の前にあるのか?という疑問。

そしてその敷地選定には林愛作という人物が関係している、と知ったからです。

林愛作は帝国ホテルの初代日本人支配人で、フランク・ロイド・ライトを帝国ホテルの設計者として招聘した人物です。

私は以前より黒田教授にご指導頂きながらこの林愛作について研究していました。

1922年、兵庫県は武庫川の支流である枝川を埋め立てて阪神電鉄に払い下げ、その資金で暴れ川であった武庫川の大規模改修に着手しました。

阪神電鉄は1924年に甲子園球場を完成し、「なんでも日本一」の理想を掲げて1930年に甲子園ホテルを開業すると共に旧枝川沿いを甲子園開発地として住宅地に整備しました。

当初の計画案は、都市計画家・造園家として名高い大屋霊城によるもので、「甲子園花苑都市」、「庭園本位の町」との考えから、甲子園野球場とテニスコートなどからなる運動施設の地区と、海水浴場や動物園、ホテルなどを配した海浜娯楽地区とを想定し、これらの地区を連絡し交通機関で遊覧できるよう幹線道路を設置、この幹線道路に沿って宅地分譲する、というプランでした。

その後は「甲子園大遊園計画」として、武田五一に引き継がれました。

その時は、ホテルは甲子園球場から旧枝川沿いに南下した海浜、現在の甲子園浜に計画されていました。

林愛作は、帝国ホテルの常務を退いたのち、1927年に阪神電鉄に手腕と実績を買われ、新しく建設するホテルの建設と運営のために招聘されました。

その林が甲子園浜の候補地に足を運び、一転、ホテルの敷地は現在の場所に変更され、今に至ります。

なぜ、林愛作はホテルの敷地に現在の場所を選んだのか。

その疑問を抱きつつ、甲子プロジェクトでまちの景観調査に参加するうちに、この地域の「水」にまつわる様々な景色、歴史、記憶、遺構に出会い、中世の或る事件まで遡ることになりました。

生命の維持に欠かせない「水」、一方、水害は人の命を奪うことにもなります。

林愛作が錚々たる都市計画家と施主の意向をひっくり返して決めたホテルの敷地は、この地域の「水」を考えるうえでとても重要な場所に位置していることがわかりました。武庫川から枝分かれし廃川となる枝川の起点であり、その地下には湧き水の源があります。

そういえば、甲子園ホテルは「水」のモチーフが全体を流れるように配されています。

農村であったこの一帯に新しい街を創るときに、シンボルとしてのホテルの敷地にこの場所が選ばれ、平和と安寧を願って土地の記憶に刻まれた「水」をモチーフにしたのではないか、とも考えられるようになりました。

とはいえ、林愛作の真意は今も不明です。

残っているエピソードは、海浜の敷地を見て「こんなところは珍しくもない」と言った、ということくらい。

でも、もし、当初の予定どおりの海浜に建てられていたならば、今はその建築は存在していなかったのではないかと思います。

海浜ホテルの予定地だった場所には、1929年に阪神パークが開園、1943年には鳴尾飛行場として海軍航空隊の拠点基地となり川西航空機の戦闘機「紫電」の試験飛行場が置かれました。

1945年には空襲で基地の大部分が焼失。今は公園となっています。

私はほぼ毎日、この甲子園浜を犬と散歩しています。

海が引き潮になると砂のなかに、一面に黒々とした遺跡のようなものが現れます。旧阪神パークと鳴尾飛行場の残骸です。

磯遊びをする子供、釣り人、最近では、夕涼みする外国人の姿を見かけます。

かたや、テトラの近くにある甲子園ホテルの建築は、現在は武庫川女子大学の校舎 甲子園会館として、丁寧に改修が重ねられ、竣工時にほぼ近いかたちで保存され、まちの一角に静かに佇んでいます。

見る度、その建築が今も存在し中に入ることのできる奇跡に感動します。

 

甲子園会館の見学は予約制ですが、是非足を運んでみてください。そして、そこから旧枝川である甲子園筋を南下して甲子園球場へ、さらにそのままずっと南に下って甲子園浜まで、水の記憶を辿ってみてはいかがでしょうか。

杉本雅子

 

参考文献

・武庫川女子大学生活美学研究所 甲子プロジェクト報告集2

・国土地理院地図

・鳴尾村誌1889-1951

 

杉本 雅子

杉本 雅子

MASAKO SUGIMOTO